「そういう発想は失礼やろ」
お会いして早々、叱られてしまった。こきりこの伝承者には若い人もいるのか尋ねたところだった。
五箇山・上梨白山宮(かみなしはくさんぐう)に日本最古の民謡とされる「こきりこ」が奉納される秋祭りの日。背の高い木々に囲まれた神楽殿を観光客が取り囲み、踊りが始まるのを待ち構えている。
お話を伺ったのは、越中五箇山こきりこ唄保存会事務局長の岩崎喜平さん。歌と演奏を担当する「地方(じかた)」の中でも重要な、歌い手を担う方だ。
「やっとる人がいるから、こきりこが伝承されてる、それがそのまま証やろ。それをいますかて。守るとか、〜流とかそういうもんになってしまうと、まず入門して、となる。でも地域の伝統芸能はそういうもんじゃない。自由。やりたいもんがやればええ」
どうも長く続いてきたと聞くと後継者について尋ねたくなってしまうのだが、踊りを見てからにすれば良かったと思った。というのも、踊っているのは若い人ばかり。さらに夕方の「奉納のこきりこ」を歌い踊るのは、集落の子どもたちだという。担い手が圧倒的に若い。
岩崎さんが地方をやっているのも小さい頃から。「こきりこ」は生活の一部として身体にしみついてきた。
「保存会が昭和26年に結成されたけど、「こきりこ」を見たいと言われても、大人はみんな出稼ぎに出てておらんわけよ。そしたら子どもがやれてことで、学校で授業中にやっとった。授業の一環や」
岩崎さんは普段は白山宮にほど近い「喜平豆腐」という五箇山豆腐の店を営んでいる。東京の大学で建築を学び、黒川紀章の事務所でインターンしたこともあった。豆腐屋を継ぐことだけ考えれば大学に行く必要はなかったが、外に出て一流を体験したことで得たものは大きかったという。
「大事なのはちゃんとブランドにしていくちゅうことや。それには来歴のきちんとした本物をみせてくこと。観光ゆうても、表面的な薄っぺらいことではだめで、それは豆腐もこきりこも一緒」
「こきりこ」は奈良時代に遡る日本の芸能の源流のひとつ、「田楽(でんがく)」から派生したものだという。奈良時代の富山には興福寺の荘園があり、五箇山は都と日本海を結ぶ街道の拠点だった。その街道にのって田楽も伝わってきたのだろう。
室町時代に白山宮が創建されてからは祭礼に歌い踊られ、途中途絶える危機にも晒されながら、今日まで続いてきた。担い手である保存会員は上梨集落の30軒・約100名の住民であり、全員が白山宮の氏子(うじこ)だ。
「こきりこ」とは地方が持つ、竹でできた短い棒状の打楽器のことで、その名前は打ち合わせたときの音色に由来する。
「こっきりこ、そう聞こえん?」竹を打ち鳴らしながら岩崎さんが言う。「室町から江戸時代までは、この竹を叩いて人集めした“こきりこ”て職業もあったんよ」
地方は田楽法師の衣装を再現したものに、烏帽子(えぼし)をかぶる。地方の楽器は、こきりこ、棒ささら、鍬(くわ)がね、太鼓、鼓、篠笛。旋律を奏でるのは篠笛だけで、あとは打楽器が拍子をとる。
「ベースにあるのは、和歌を詠みあげる詠(うた)。だから、ゆったりしとるやろ」
踊りは女性が「しで」というこきりこの竹の両端に和紙をつけたものを持ち、場を清めながら踊るところに始まる。
その後、108枚のヒノキの板を打ち合わせた「びんざさら」を持った男性がささらの音を響かせ、足を強く踏み込みながらダイナミックに踊る。この力強い足捌きと、シャンっという小気味良い音がなんとも格好いい。
最後は女性たちによる輪踊り。衣装の赤白青黒の4色は、仏教伝来以前の日本の基本色にのっとっている。
由緒ある衣装、ゆったりとした節回し、シンプルな打楽器の音色。雅さと素朴さの同居した独特な雰囲気は、いわゆる三味線、尺八、ほっかむりにたすき掛けといった「民謡のイメージ」とは違う。その違いが歴史の古さの証であり、古から伝わってきたものの特徴なのだろう。
それにしても、何度も危機があったとはいえ、なぜ五箇山に最も古いとされる民謡がのこったのだろうか。
「それは心やちゃ。いちばん心と心の、魂のやりとりができるのは歌と踊りなわけ。難しいことで繋がれんやん。世界中の音楽ってそのためにある。だから五箇山は、そういう心がのこった地域てこと。そういうもんをずうっと継いでくのが田舎暮らしちゅうことや」
ちなみに岩崎さんによれば、五箇山を代表するもうひとつの民謡「麦屋節」は、明治時代に平家伝説を民謡にしたもの。歌詞は「こきりこ」、節は佐賀県の民謡「まだら」からきている。北前船で能登へ入ってきた佐賀の民謡が、能登と漆掻きで交流のあった五箇山へ伝わってき、麦屋節になった。
「地域の人たちがどっかでみたものを、こんなおもしろいのあったってつくるわけ。それが民謡」
当時は競って新しい民謡がつくられていた。今でも城端の「麦屋まつり」では、毎年新作の歌詞が発表される。民謡とは常に新しくつくられ続けるものでもあるのだ。
この日は踊り手の方にもお話を伺った。
宮岸綾さん(写真左)は上梨で生まれ育ち、今もここから小矢部の職場へ通っている。保育園時代から踊り始め、小学生になると奉納に参加。「こきりこ」は生活の一部になっている。五箇山が好きで、出ていきたいと思ったことは一度もないという。坂本美帆さん(写真右)が踊る理由は、上梨に嫁に来たから。
「住むなら踊る。それが当たり前なんです。踊りは楽しいですよ。全国でここにしかない踊りを踊れるって、誇らしいです」
ささら踊りの踊り手は坂本尚徳さん(写真左)と大瀬康之さん(写真右)。やはり二人とも小さい頃からずっと踊ってきた。坂本さんは先ほどの美帆さんとご夫婦で、普段はそれぞれに旅館と土産物店を切り盛りしている。大瀬さんは普段は岐阜で暮らしているが、祭りの日には毎年帰ってくる。
「古いスタイルの踊りや、即興でつくったという唄。古典的で素朴で、ほんものっていうのが魅力です」
とにかく皆さん「こきりこ」が好きなのだ。話しぶりから誇りに思っていること、好きだという気持ちがひしひし伝わってくる。やりたいから、楽しいからやっている。そうしてごく自然に土地と深く結びついたものを継承している彼・彼女たちが羨ましく思える。
さて、夕方になって山の空気がひんやりとしてくる頃、富山の秋の風物詩「獅子舞」に続いて、いよいよ子どもたちによる「こきりこ」の奉納が行われる。
大人と同じ衣装に包まれた、ひとまわり小さい、まだできあがっていない身体。歌声も旋律もどことなく頼りないけれど、そのつたなさがかえって胸を打つ。
秋祭りとは収穫をもたらす大きな循環、自然そのものへの感謝と祈りの表現だろう。そして子どもは、自然そのものと人間の間にある存在だ。人間であり、自然からもたらされたもの。
子どもが神事の主役なのは、大人たちの感謝の気持ちを強く呼び起こすためにも、歌と踊りが継承されていくためにも、とても理にかなっているのかもしれない。
五箇山のどういうところが好きか。尋ねると岩崎さんは好き嫌いの話ではないのだと言った。
「わたしの命はどこからきたか、そういうことよ。頼んだわけやない、与えられた命や。それがずうっと継承されてきたっちゅうこと。命が大事、自然が大事、自分の力はひとつも必要ない。人間は命のサイクルのなかに生きとる。ここに暮らしとると、そういうことがみえてくるよ」
わたしたちもかつては子どもだった。そして与えられた命を生きている。当たり前のようでいて、すっかり忘れていることに気づかされる。
切り立った谷のうえに、浮かぶようにある五箇山・上梨の白山宮。木々のしんとした匂いのなかできいた岩崎さんの言葉が、ずうっと頭にのこっている。
文章:籔谷智恵
こきりこ踊りの鑑賞 水と匠オリジナルプラン
世界遺産 五箇山「相倉」の合掌造り民宿
「庄七」にて、こきりこ踊りをご鑑賞いただけます。
保存会の方々との交流の場も設けられます。
ぜひお気軽にお問合せください。
料金:50,000〜(宿泊代別途)
お問合せ・お申込み
こきりこ祭り
開催日;毎年 9月25日・26日
住所:南砺市上梨白山宮境内
電話:0763-66-2468 (五箇山総合案内所)