北陸の浄土真宗信仰の中心地のひとつ、城端別院善徳寺。夏の風物詩「虫干法会」では、寺宝や前田家ゆかりの宝物など約1万点にのぼる収蔵品から約500点が広大な建物の各部屋に展示されます。
水と匠では2023年度観光庁の支援を得て、展示台の制作や照明演出を行いました(照明:日本を代表する照明デザイナー・面出 薫率いる「 Lighting Planners Associates」、空間:「楽土庵」を手がけた建築デザイン事務所 51% 五割一分)。
そして、虫干法会が何倍も奥深く楽しめるツアーを実施。
棟方志功が疎開した「光徳寺」で土地の僧侶の話を聴き、「楽土庵」に宿泊。翌日は城端絹の織元「松井機業」をたずねたのち、善徳寺の虫干法会・宝物特別拝観へ。
富山の土徳をめぐる1泊2日の旅、2日目のレポートをお伝えします。
梅雨明けの日差しが眩しい土用の日曜日。一行はまず城端で「しけ絹」の製造を営む「松井機業」さんへ。
「城端絹の歴史が始まるのは約450年前。城端に善徳寺が移ってきた折に、浄土真宗と同時に絹織物産業も城端に入ってきました。城端は二つの川に挟まれた土地。絹の製作には湿度が必要なため、南砺のなかでも特に城端で絹織物業が栄えたのだと思います」
お話しくださるのは松井機業の松井紀子さんです。
「南砺には『土徳』という言葉が伝わっていて。棟方が疎開している時に柳が様子を見にきて、棟方の作品が良くなっていることに驚いて。何があったんやゆうたら、お寺に通って過ごしてるだけですと。この土地には徳があるんやなといわれたんですね」
「土に徳があるって、よほどのこと。でもあるとき善徳寺のお朝勤(おあさじ:朝の法要と法話)に行ってみたら、『松井さん、あんたのおじいちゃんもひいおじいちゃんもきてたよ、おはたらきやねぇ』と地域の方々に言われて。宗教には足を踏み入れてはいけないと避けていたけど、思い起こせば善徳寺は生活の中に普通にあったものでした。そんな難しいことじゃなくて、心の拠り所なんだなあって、すっと腑に落ちたんです」
松井機業がつくるのは「しけ絹」という、玉繭からつくられる絹織物。主に襖の素材などにつかわれ、楽土庵の客室「絹 -ken-」でも内装として使用されています。
玉繭とは、二頭の繭がひとつの繭をつくったもののこと。絡まりやすく節のある糸になるため、一般的には好まれませんが、松井機業では節によって生まれる表情を光の演出ととらえたものづくりを行なってきました。
根本には、いのちが生み出す結晶を無駄にしたくない想いがあるのだといいます。
糸づくりの工場では、機械とは思えないほどゆったりと糸車が動き、やさしい音が響いていました。
ある時から紀子さんは養蚕も開始。
工場の隣に桑畑をつくり、蚕を育て、繭をつくっています。
「もともと虫は苦手だったんですが、赤ちゃんの蚕に離乳食をあげたり、世話するうちにほんとうにかわいくなってきて。でも糸にするには繭の状態でお湯につけるので、蚕は死んでしまうんです。自分で育てたものを殺さないといけないことに思い悩みました」
「そんなときに、別院のお朝勤に通うようになって。毎朝通ううちに、“自然に生かしていただいてる”という実感が湧いて、ただただ感謝するしかないんだと思うようになりました。考えてみれば、野菜だって何だって、いのちをいただいているんですよね」
自分で蚕を育ててつくった絹は「これまで見たどの絹よりも輝いていた」と紀子さん。
「絹の光沢はいのちの輝きやったんかと。人工絹ではどうやっても絹の輝きは再現できないんです。お蚕さんに声なき声で、私たちの命を無駄にしないでと言われた気がしています」
奈良時代には絹を着ることが一番の薬とされていたこともあるのだそう。薬売りが有名で薬草栽培が盛んな富山。紀子さんはしけ絹に薬草での染色等を組み合わせて、「人を助けるもの」をつくっていきたいと考えているそうです。
機織りと染めの工房もみせていただいてから、一行は製品のショップへ。
家業を継ぐ決意に至るお話や、製糸技術、商品開発についてなど様々なお話をうかがい、絹の空間に心地よく包まれる時間を過ごしました。
松井機業をあとにした一行は、虫干法会の会場となる城端別院・善徳寺へ
昼食には虫干法会の名物『お斎(おとき)』をいただきました。
お斎とは、法事・法要の際の食事のこと。地域の方々が協力して、連日何食分ものお斎をつくってくださいます。右上の「さばずし」は毎年5月に仕込み、虫干法会の時期からいただく鯖の熟鮓 (なれずし)で、こちらもお寺のさばずし小屋で地域の方々によってつくられています。
訪れた人で賑わうお斎会場。お寺にこれだけ人が集まって、みんなで食事を食べるのは、なかなか他にない体験です。善徳寺にはこうしてワイワイと人が集まる、コミュニティとしての性格があるのです。
さて、いよいよクライマックスは城端別院・善徳寺の虫干法会拝覧ツアー。ご案内くださるのは輪番の亀渕卓さんです。
城端別院・善徳寺は本願寺8世蓮如上人を開基とする北陸の浄土真宗信仰の中心寺院のひとつで、開祖・親鸞聖人直筆の唯信抄をはじめ、収蔵する宝物は約1万点。虫干法会では、その中から約500点を1週間にわたって一般公開しています。
大きな木馬が展示してあるのは、加賀藩主・前田家との密接な関わりがある「大納言の間」。前田利長が鷹狩の際に泊まった部屋といわれ、前田家から善徳寺の住職になるよう入代された亮麿様愛用の品が展示されています。
「石川との県境、砂子坂に建てられた布教のための庵が善徳寺の発祥です。その後移転を繰り返し、約450年前に城端に落ち着きました。それ以来、一度も火事にあっていません。前田家との縁も深く、ここにあるほうが安全だからと前田家から預けられた宝物もたくさんあるんですよ」
2023年度の虫干法会では観光庁の支援を得て、日本を代表する照明デザイナー・面出 薫率いる「 Lighting Planners Associates」による照明演出と、「楽土庵」を手がけた建築デザイン事務所 51% 五割一分による空間演出を実施。
華やかなものは華やかに、落ち着いたものは落ち着いて、それぞれの宝物が持つ格調や威厳を真摯に感じられる空間があらわれていました。
親鸞聖人直筆の「唯信抄」、蓮如上人直筆の「六字の名号」、「正信偈四句条文」、「女人往生の御文」など
「舞楽図衝立」
唐獅子香炉、さまざまなお茶道具
「矢島一の谷合戦図屏風」。秀吉が枕元に寝る際に枕元に置いていたものと伝わる
郷土の画家による「四季花鳥図屏風絵」、「貝桶・貝合」、文机など前田家ゆかりの品々
梅鶴蒔絵御見台
屏風と草月流の生花展
・
ほかにも寒山拾得図、歴代のご本尊や名号など、どの部屋にも宝物が配置されていて、歩み進めるたびに感嘆の声があがります。
ガラス越しではなく間近に鑑賞できるため、宝物のエネルギーを直に感じ取ることができました。
善徳寺は柳宗悦が70日間滞在し、民藝美論の集大成となる代表的論文『美の法門』を執筆した場所でもあります。
柳が滞在した座敷には、民藝にまつわる作品と、柳が「こんなにも美しい版本を生まれてから見た事がない。(柳宗悦『妙好人論集』)」と絶賛した「色紙和讃」が展示されていました。
「色紙和讃」は、蓮如上人の5男・本願寺9代の実如上人が室町時代につくったお経の教本です。
それまで経典といえばお坊さんの写本だったものを、板木で刷って民衆の手に渡るように開発された、当時としては画期的なもの。どこを読んでいるかわかるように赤と黄色の頁が交互に配置されており、約500年前のものとは思えないほど、色も文字も鮮明に残っています。
「柳宗悦が特に感銘を受けたのは、色紙和讃の文字でした。真宗文字という蓮如上人がつくったフォントで、読みやすく彫りやすいようにつくられています。『これこそまさに民藝だ』と感激した柳は、その後、書などを書く際にこのフォントを意識して取り入れるようになります」
それは限られた特別な人のためのものではない、“みんなのためのもの”。
善徳寺が持っている場の力にも、共通するものが感じられます。
迫力があり開放的な宝物のたたずまい。展示を丁寧に説明してくれる地域の人たち。迷子になりそうなほど広くて複雑な伽藍。境内の大木から聞こえてくるのは営巣するサギの鳴き声。浄土真宗、僧侶、前田家、地域の人、民藝、、、さまざまな要素が折り重なって、ふところの深い独自の空気を醸し出しています。
そしてときおり訪れる、あたたかな空気の中で心が洗われ、しんと静まる感覚。
柳宗悦がなぜ善徳寺に逗留したのか。民藝美論の集大成となる論文を執筆できたのか。善徳寺の空気に触れると、わかるものがあるかもしれません。
今回のツアー参加者は皆さん東京からの方。それぞれに善徳寺や宝物、土地の空気から、さまざまなものを受け取っていってくださいました。
・・・
虫干法会は毎年7月の後半に一週間ほど開催されます。来年のその時期には泊まれる民藝館「善徳寺・杜人舎(もりとしゃ)」もオープンしていますので、ぜひあわせて遊びにいらしてください。