桜や朱鷺のように、菌にも日本を代表する国菌がある。日本酒や味噌づくりに欠かせない麹菌ニホンコウジカビ、学名でいうアスペルギルスオリゼだ。しかし麹屋や麹を自社製造する蔵元等、麹を扱うメーカーは数千にのぼるにも関わらず、それらへ麹の素を納める種麹屋は日本中で十軒にも満たない。そのうちの一軒、北陸では唯一の種麹屋「石黒種麹店」が福光にある。
年間を通じて湿度が高い富山は発酵食品づくりがさかんで、麹屋の数は全国で三本の指に入るほど多い。なかでも福光は、切り込みをいれた蕪に魚を挟み麹につけこむ郷土料理、かぶら寿司の人口比における消費量が日本一だという。
「湿度と、豪雪地帯の冬の保存食という意味でも、風土的に発酵食が盛んな地域ですねえ。最近は甘酒もとても人気があります。よく言われる健康効果に加えて、エルゴチオネインというとても強い抗酸化物質が入っていることがわかったんですよ、ホウレイ線シミ皺に効く、美容効果が大変高いわけです、ま、あなたさまには必要のない気がいたしますけれども・・・ハイ」
独特な節回しでユーモラスに話してくださる店主の石黒八郎さんは、麹屋としては8代目、種麹屋としては4代目にあたる。石黒家は江戸時代に商売をはじめ、明治28年に種麹屋を創業した。
種麹というのは麹をつくるもとになる種、つまりカビの胞子のことで、種麹屋は伝統的な微生物の培養者ともいえる。日本各地に点在する種麹屋には、まさにバイオ産業然と各種微生物を工業的に扱う大企業もあるなか、石黒種麹店では一子相伝の種麹づくりと麹蓋製法による手づくりの麹を今も伝えている。
石黒種麹店では種麹とそれを素につくる麹、さらにその麹で仕込む味噌と甘酒を製造販売していて、麹が売上の半分を占める。味噌屋麹屋を中心に金沢のかぶら寿司の名店やロンドンからも注文があり、個人客も年々増加、ニューヨークや台湾の有名シェフが店に訪れることもあるという。
石黒種麹店の味噌は塩辛さがほとんどなくまろやかで、そのままでディップになるような複雑な旨味がある。甘酒は甘みが濃く後味が澄んでいて、どちらもほんとうに美味しい。この美味しさには石黒さんのつくる麹の質と酵素が関係している。
麹とは、麹菌を米などに生やして培養したもののことで、麹には麹菌が産生する様々な種類の酵素が含まれている。酵素は栄養素を分解して旨味や甘みに変えたり、消化吸収を助けたり、菌の代謝の過程で各種ビタミンを生み出したりするのだが、塩漬けの大豆が味噌になり、塩麹に漬けた肉が美味しく柔らかくなるのは、酵素が働いているからともいえる。
種麹から自社で育てる石黒さんの麹は、この酵素の量が格段に多いことが専門機関に証明されている。そして酵素量と旨味や甘みの量はほぼ比例する。つまり質の良い麹は活きが良く、多くの酵素をつくりだし、その麹で仕込んだ味噌や甘酒の味わいを豊かにする。
さらに“そのときにある一番良い原材料を使うべき”というお祖父様の代からの教えのもと、米はコシヒカリ、大豆は国産大豆と一級品を使う。なかでも最上級の味噌は麹の量が大豆の2.3倍、大豆は甘みが強く味噌に適しながらも年々生産高が減っている、幻の大豆と呼ばれる北海道産の秋田大豆と、麹屋ならではの味噌づくりが究められている。
広く流通する麹は多くの場合、機械の画一的な温度管理と攪拌によってつくられる。スーパー等に常温で置いてある塩麹は扱いやすいように菌が熱処理で非活性化されている。味噌に国産大豆が使われることは少なく、大量につくれるよう発酵時間が短縮され、菌が出す炭酸ガスをおさえるための酒精(エタノール)が添加される。
そうした合理性を優先してつくられるものと、石黒さんの麹や味噌のように種麹から手で天然醸造によってつくられるもの、現代において一般的なのは前者であり、それが必ずしも良くないとは言えないが、後者のほうが断然美味しく、身体に良いとされる効果も高い。
味の違いは、食べてみるとよくわかる。以前は客層の高齢化に将来を危ぶんだこともあったのが、近年発酵食品が見直される中で味噌や甘酒を自分で仕込む人も増え、今は6対4で若いお客様の方が多くなっているという。お話を伺う間にも、味噌づくりのためと大量に麹を求めていった若い女性がいたのが印象的だった。
「塩麹がブームになりましたでしょう、あれのおかげで、ひとくちに麹といってもお店によって全然違うことがわかっていただけたんですねえ。ブームは終わりましたけど、定着したお客様が、ずうっとうちに来ていただいているんです。口コミも広がって、ブームのころよりも、年間来店者数はだんぜん多いです、ハイ」
「年に4~5人、麹にカビが生えてるけど大丈夫でしょうか、というお電話があるんですけれども。コウジカビって、カビですからね。真空パックされてると目立たないんですけど、開けると菌糸や胞子がフワフワして見えてくるんで、大丈夫かってなるんですね、ハイ」
麹を表すもうひとつの漢字、「糀」は和製漢字で、コウジカビの胞子が花のようにみえるところからきている。さかさまにしても落ちない、手で触るとすぐに壊れるのが良い麹だそうで、麹づくりとは、いかにコウジカビたちに心地よい環境を用意して、胞子をのびのびと張り巡らさせるかにかかっているともいえる。
麹づくりにかかる日数は3日間。麹室の温度は34~35°、湿度は90%という過酷な環境のなかで、種麹を混ぜた米を2~3cmの厚みにして麹蓋に入れ、一枚一枚木棚に並べる麹蓋製法を今も守り、夜中の12時と4時半には起きて、様子をみながら木棚に置いた麹蓋の上段と下段とを入れ替える。同じ部屋の中でも暖かな空気は上に上がり、冷えた空気は下に下がるため、温度を保つ調整が常に必要になるためだ。
「父は職人は肌で温度を感じろと、麹室内に温度計を入れさせなかったんです。はじめはしょっちゅう喧嘩してましたね、わたしが温度計入れたら次の日ゴミ箱に入ってるっていうのが3~4回あって。ただ喧嘩してるうちに、空気の温度、麹の温度、いつもより高いな低いなとか、わかるようになりまして、ハイ」
麹は石黒さんと息子さんを含む5人の麹職人でつくる。そのさらに素になる種麹は一子相伝、全ての製法を知っているのは石黒さんのみで、長年連れ添ってきた奥様も、石黒さんが店を継ぐ前から働いている番頭さんも知らない。いずれ後を継ぐ息子さんにも、「麹づくりを120%ものにしなければ種麹はとんでもない」と、まだ僅かしか教えていないという。
種麹づくりにかかる日数は1週間。石黒さん以外は立ち入れない室の中で、微生物との対話が繰り広げられ「種」がつくられる。職人というよりもどこか神秘的な魔術士、もしくは科学者のような姿が想像されるが、科学が立証するずっと前から人は身体で自然の理を学び、暮らしに取り入れてきた。
「作り方にしても、原材料にしても、石黒さんてこだわってるねえって、よく言われるんです。でもわたしがこだわってるんじゃなくて、他が変わっていったんです。よく、新製品をつくらないのかと言われるんですが、昔ながらを守ることも、そうとうに大変だということを、知っていただきたいですねえ」
文章:籔谷智恵
石黒種麹店
住所:南砺市福光新町54番地
電話:0763-52-0128
営業時間:平日9:00~18:00
土・日・祝10:00~17:00
定休日:第1・第3・第5日曜日
web:www.1496tanekouji.com