川の流れがつくった深い谷に沿って、ときおり橋を渡りながら山へ分け入っていく。世界遺産の合掌造り集落がある五箇山は名前のとおり山ばかりの場所で、平らなところがほとんどない。
めずらしく4月に雪が積もったある日、「東中江和紙加工生産組合」の工房に宮本謙三さんを訪ねると、大きな釜の中で和紙の原料になる楮(こうぞ)が煮られていた。
「蓋から吹き出す泡の状態で、火加減をみます」
こっくりとした匂いが漂うなか、宮本さんは和紙になる部分を剥いだ楮の芯も、どんどん竃へくべていく。
宮本さんの工房では楮をすべて自分たちで、近所の畑で育てている。手漉きの和紙の産地であっても、原料から自家栽培しているところは少ない。素材から製品になるまで、一貫した手仕事でつくられる「悠久紙」は千年の耐久性があるといわれ、桂離宮などの文化財の修復に使われている。
豪雪地帯で知られる五箇山の山と谷のコントラストは深く、耕作適地とはいえない。その点、楮は強い植物で、農作物が育たない場所でも育つ。加賀藩の藩政時代、五箇山には火薬や生糸の生産工場という役割があり、和紙も重要な生産物のひとつだった。
五箇山では朝晩が冷え込む日中との温度差によって、強靭な紙になる細く長い繊維が穫れる。そして和紙作りに必要なきれいな水は、山の雪解け水が豊富にある。
「原料も農業という自然の一部のことだから、いつどうなるかわからないところは常にありますけど、ここでつくるものがあるかぎり、他で買う必要はないんです」
宮本さんの言葉は、それがこだわり、というよりも、ここで楮を育て、ここで和紙にすることが一番合理的なのだ、と聞こえる。自分たちに必要な原料の量は自分たちが一番わかっているし、遠い場所から仕入れる場合のように、自分でどうにもできないことを憂えずにすむ。
私たちの身の回りには、地球の反対側から原料を仕入れて加工して、別の場所で表装して別の場所で売られ、数年後には無くなっているようなものが溢れているけれど、その複雑さのほうが特殊に思えてくる。
この日はちょうど「雪ざらし」という、雪の上に繊維を並べて漂白する工程をみせてもらうことができた。楮の繊維は紫外線にあてると色素が抜けて白くなり、また繊維同士が緊密になり強度を増す。
宮本さんの工房では、繊維に残った変色部分や、ちりなども丁寧に手でとっていく。紙漉きをする際、楮を均等にゆき渡らせるため水に粘度をもたせるトロロアオイも自家栽培する。身の回りで原材料を賄い、品質を損なう効率化はしない。
楮の栽培は春にはじまり、剪定や草取りなど日々の畑仕事を経て、秋に刈り取りをする。刈り取った楮は蒸して木槌でたたき、柔らかくしてから皮を剥ぐ。さらに表面の黒皮を剥いで、一週間ほど雪にさらす。さらした楮を洗って、煮て、ちりを取る。きれいになった繊維をほぐしてどろどろにする。そうしてやっと紙漉きの作業ができる。楮が育ち和紙になるまでの間には、膨大な時間と手間の積み重ねがある。
悠久紙は襖絵や掛け軸などの文化財修復において、作品に直接触れる一枚目の裏打ち紙になるという。手漉きの和紙にも漂白剤やカビ止め剤が入れられることが多いなか、そうしたものを使わない悠久紙が、作品を支える力になる。
自然のものに人の手、比喩ではないまさにこの手が働きかけて作られたものは、長い時間を超えて、幾世代にも渡ってながらえることがある。そうした人の手の力を、悠久紙は伝えている。
「いつも巻いてるわけじゃないんですけどね。軽くてあったかいんです」
家業の工房をお兄さんと2人で継いだ宮本さんは、若い頃大阪の御堂筋でエンジニアをしていた。温かいからと首に和紙を巻いて訥々と話される佇まいには、和紙への愛情とものづくりが好きだという人柄が滲んでいる。
「他よりも優れているところを思ったことがあまりないんです。大事にしていることは、ただひたむきに、ということ。おだやかに、みんなの役に立ち、みんなの喜ぶことをしていかないといけない、と思っています」
悠久紙が厳然とした手仕事を伝える一方で、五箇山和紙の産地には欧米のセレクトショップで取り扱われるような新しい製品開発の取り組みもある。
「若い人が手に取らない分野なのを変えたかったんです。ここにくる客層も若返らせたかったし、地元の若者にも振り向いて欲しい、という思いが合わさって」
「FIVE」という蛍光色の和紙製品ブランドを展開する石本さんは山口県・岩国市の出身。東京の美大で木工家具を専攻中に、木を使った別の表現方法を模索するなかで和紙に出会った。アパートのお風呂場で和紙をつくり、木から和紙になる工程を記録して提出したところ、テキスタイル科の先生が五箇山を紹介してくれた。
それまで名前も知らなかった五箇山を初めて訪れたとき、石本さんは山と谷しかない、かつて旅した中国の雲南省にも通じる地形に圧倒されて、ここに住みたいと思ったという。原料の楮から育てることにも多いに魅力を感じ、卒業後すぐに「五箇山和紙の里」で和紙づくりに携わることになった。
移住して数年、新商品開発事業を南砺市からもちかけられる。せっかくならば継続できるブランドを確立しようと、大学時代の友人であるデザイナーと協業してFIVEが生まれた。
初めて単独で出展した展示会には驚くほど大きな反響があり、JETROからの声掛けで海外展示会にも出展。欧米各国のミュージアムショップやセレクトショップに製品が並んだ。今もゆっくりと模索しつつではあるが、取り組みは着実に前に進んでいる。
貴重な五箇山和紙の後継ぎである石本さん。悠久紙のような伝統的な和紙づくりへの想いについて尋ねると、それは絶対に必要で遺っていくものとした上で、自分がやることはまた違うかもしれないと答えてくれた。
「ただ、わからないです。ここに来た時は製品開発には興味はなくて、紙になって完結すると思っていたので、またそっちに惹かれていくかもしれない。でもその前に、もっと刺激になるようなこと、普通それはダメだと言われるようなこと、これまでやってこなかったようなことをやってみたいんです」
後継者に関していえば、五箇山和紙の各工房が連携して対策していくことが重要だと考えている。
「ここにあるものでものづくりが完結できるのは、ものすごい強みでもあるんです。だからあと数人、僕みたいな変わり者が五箇山に来てくれたら、すごいことになると思いますよ」
文章:籔谷智恵
「悠久紙」東中江和紙加工生産組合
住所:南砺市東中江582
電話:0763-66-2420
web:www.yukyushi.jp
※見学は要申込み
「FIVE」五箇山和紙の里
住所:南砺市東中江215
電話:0763-66-2223
営業時間:9:00〜17:00
休館日:年末年始
web:gokayama-washinosato.com
※和紙手漉き体験700円~
受付は16:30まで(団体要予約)