「魚の話をするんでしたね」と濵元さんは言った。いや、定置網漁の話を聞きに来たのだけど、と思ってしまったのはこちらの浅はかさで、漁の話とはつまり魚の話なのだった。

富山の魚は美味しい。その美味しさの理由は、「天然のいけす」とも称される富山湾の立地と、独特な地形にある。

富山湾には寒流と暖流がともに流れ込むため、暖水系、冷水系両方の生物が生息でき、水産資源の宝庫といわれるほどの豊かさがある。沿岸部から急激に深くなり、最も深いところでは1,200mにもなる地形は「藍甕(あいがめ)」と呼ばれ、そこで育まれるプランクトンが回遊魚を呼び込む。そして3,000m級の立山連峰から流れる水が豊富な栄養分を運んでくることで、魚がふくよかになる。

なかでも「氷見の寒ブリ」は全国的に有名で、冬にはブリを食べるために訪れる人も多い。

「秀吉も氷見のブリを食べたんですよ。氷見の定置網には400年以上の歴史があるんです」

お話を伺ったのは、代々漁業を営んできた網元の17代目にあたる濵元英一さん。氷見で一番大きな定置網を持ち、富山県内でも一番漁獲高が高い灘浦漁業組合の組合長を長く務められた。現在は氷見漁業協同組合の副組合長理事と、富山県定置漁業協会の会長でもある。

氷見で獲れる寒ブリの歴史は古く、文禄4年(1595年)に京都伏見にいた前田利家が家臣宛に、歳暮のために氷見のブリを送るように指示したことがわかる文書が残っている。越中式定置網漁(当時は「台網」と呼ばれた)がはじまったのはその少し前、天正年間(1573年〜1592年)だそうだ。

濵元さんは灘浦漁業組合の組合長時代、ブリにセンサーをつけて海に放ち、その習性を研究した。

ブリは秋から冬にかけて長崎の五島列島まで南下し、春に産卵したあと、孵った稚魚もつれて、夏にかけて北海道の千島列島まで北上する。一匹が数十匹を率い、その後ろにさらに何千匹という群れが連なる、鰤という漢字のとおり、「師」が群れを先導するような魚だという。

ブリは8度以下では生息できないため、寒流が流れているところは超えられない。北上するときは日本海の真ん中を通っていくが、南下の際には西風が吹き、海が時化て(しけて:波が立って荒れること)水温も下がるため、沿岸部に沿って泳いでくる。

「そのときにちょうど富山湾の能登半島が、手で掴むようにぐっとせり出してるから、ひっかかるんだよね。ちょうどこのエリアが、定置網をおろしてください、といわんばかりの地形なの」

海底地形図。氷見のあたりは、浅すぎず、 急峻すぎず、ゆるやかな等高線を描いている。

新潟や、石川・福井などの能登半島の外側は時化が強いため、冬には定置網の操業が難しく、また水深の浅い場所にはブリのような回遊魚は来にくい。富山湾は深いため、ブリが沿岸まで近づいてくるのだが、湾の東側は地形が急峻すぎて、定置網を下ろす場所がない。

そんななかで、氷見の沿岸部は大陸棚のようになっており、ちょうど定置網を張るのに適しているのである。

「だから、脂がのって美味しい寒ブリの時期に漁ができる場所、ブリが獲れる場所というと、氷見になるんです」

濵元さんは、そうした地形を見極め、水温を観察することが漁の鍵だという。たとえば同じ富山湾でも、氷見の少し北に行くと水温が8℃を下回るため、ブリは来ない。

そしてこの8℃という温度は、引き揚げたブリを港まで運び、美味しく食べるまでの間の保管方法にも関係している。

「ブリは水温が8℃以下になると気絶するんだけど、氷見寒ブリの美味しさは、獲ったブリを船に用意した氷水にいれて、気絶させるところにあるんです。苦しんで暴れて死ぬとすぐに死後硬直が起きて、旨味が消えて不味くなる。気絶だと旨味成分のイノシン酸が全部のこるから、美味しいの。気絶してるブリは身体がぐなっとして柔らかいから、市場でみたらすぐわかりますよ」

出世魚であるブリ。富山では生後7〜8ヶ月のブリの幼魚をフクラギと呼ぶ。

定置網では、回遊する魚を誘導する「垣網(かきあみ)」と、魚を獲るための「身網(みあみ)」を、沖に逃げる魚の習性を活かして設置する。一度入った魚でも出ていくことは容易で、入ってきた全体数に対して、獲れるのは3割程度ほどだという。

網が引き上げられる寸前まで魚は自由に泳いでいられるのでストレスがかからず、網はゆっくりと引き上げられるため身も傷つかない。網の目よりも小さな魚は獲れないという工夫もある。

定置網漁は魚群探知機で魚を追いかけて大量に獲るのではない、魚のほうから入ってくるのを待つ「待ちの漁」とも言われ、資源を取り尽くさない資源管理型漁業としても近年見直されている。

朝4時ごろ港を出て、網場につくまでは約30分。別の船に乗って、定置網漁を見学させてもらう。

網を引き上げる作業に派手さはないが、新鮮な魚がずらっと船に引き上げられる様子には、やはり迫力がある。そしてこれだけの魚が海で泳いでいること、海で生きていることをあらためて知る。

魚は人の食べ物として生きているわけではない。たとえばブリであればその生をまっとうし、子孫を残すために、長崎の五島列島から北海道の千島列島までを毎年移動する。決まった場所で産卵する、その場所をどうして覚えているのか、なぜそこに辿り着けるのか、まだわかっていないという。その魚を、わたしたちは食べ物として、いただいている。

スーパーや魚屋に並んでいる魚が生き物であること、海にいること、知識としては知っているけれど、それはほとんど知らないに等しいことだった、と漁をみていると思う。そして夜中から早朝にかけて、多くの人が寝ている時間に働く人々のおかげで、魚が食べられているということも。

朝の漁港は漁師、買い付けの業者、そして隙あらばと獲物を狙う海鳥たちの活気に満ちている。あるところで競りの人だかりができると、すぐにまた移動し、また、と繰り返しながらどんどんと魚が売られていく。

小さな港だからこその距離の近さ、その日に獲れたものがその日に味わえるのも氷見の魅力だ。

濵元さんは自らが育った立派な生家を「網元の家」という食事処として解放している。

入り口を見逃すほど立派な門構えの家には、かつては360人ほどいた水夫の朝ごはんの味噌汁のために味噌を仕込んだという味噌蔵、魚をそのまま運べるようにと奥まで続く広い土間など、漁師の家ならではの設えが随所にあり、建物をみているだけでも楽しい。

食事は要予約で、1日1組のみ。縁起をかついだ松竹梅の井波彫刻の欄間や、豪華な襖絵、鞍馬の赤石、能登の滝石、滝に打たれて溝ができた石、佐渡赤石、四国の青石などが置かれた庭など、広々とした空間と庭の景色を楽しみながら食事ができる。

「春慶塗り三段御膳」 旬のものを中心にしているため、 食べられる魚はその日によって違う。

若い頃は漁師にはなりたくなかったという濵元さん。日本テレビに勤め、報道の制作部長、テレビ金沢の立ち上げと報道部長までを務めるほどだったが、地元の要請があり帰郷。組合長になって以後は、タイ、台湾、インドネシアなどの国々の研修生を受け入れ、技術指導等も行っている。

「定置網は、魚との根比べ、知恵比べみたいな漁です。すべて取り切らない、というのも大事なことで、魚を育てるというのもそうだし、漁師同士で獲物を分け合うという意味もある。そこにきて氷見はちょうど、漁師にとって”天の恵”みたいな場所なんですよ」

文章:籔谷智恵

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