ものづくり・職人技
2019.06.28

観光が産業の担い手を育てる
「能作」の仕事と子どもへのまなざし

2019.06.28

むっと鼻をつく鋳物砂が焦げる匂い。工場の中は寒くて、一度は脱ぎかけたコートを着直す。何段にも積まれた鋳型、鋳物砂を運ぶ大きな装置、タオルを首に巻いて黙々と作業する人たち。

「細かい砂を使うから空調を効かせられないんです。だから夏はTシャツを何枚も着替えるような過酷さだし、冬は寒い。鋳物って独特の匂いがするし、熱とか光とか、五感に訴えるもの。職人と同じ環境下でなにか感じてもらえたらいいなと思います」

専務取締役、いずれは会社を継ぐ五代目の能作千春さんがいきいきと話してくれる。

高岡銅器にはイメージが沸かなくても、「能作」ならば知っているという人は多いかもしれない。ここ10年で産地を牽引する存在になった鋳物メーカー能作の工場見学では、実際の作業工程をガラス越しではない至近距離から見ることができる。

能作が工場見学に力を入れはじめたきっかけには、現在の能作克治社長がかつて聞いた、工場を訪れた母親が子どもにかけた言葉があった。

「ちゃんと勉強しないと、将来こんな仕事にしかつけないよ」

自らの仕事に誇りを持ち、揚々と働いていた当時の克治社長は大変なショックをうけた。以来、職人の地位向上のためには地元の意識から変えていかなければと、小中学生を中心にした体験学習を10年以上積極的に続け、2年前に産業観光を大きく打ち出した新社屋をオープン。4,000坪の敷地に展開される、見学路と一体になった希有な鋳物工場には、職人への敬意と鋳物づくりへの愛情がつまっている。

新社屋では産業観光部という専門の部署をつくり、専任スタッフを配置。それまでは年間1万人だった見学者は1ヶ月で1万人以上になり、今では訪れる人々の感嘆の声が、確実に働く人のモチベーションになっているという。

「驚くのは、工場の中が常に整理整頓されてきれいに保たれるようになったんです。職人達が自分で分担して朝晩掃除するようになって。昔は作業中のタバコも当たり前だったのが、今は吸い殻ひとつ落ちていただけで“誰が落としたんだ!お客様が来るのに”って騒ぎになるくらい。これだけ人って変わるんだって思いました」

能作の創業は大正5年。長らく産地の流通経路の中で発注されたものをつくっていたのを、克治社長は自社企画の商品作りをすすめ、新しい商流をつくった。

はじめのきっかけは、真鍮製の風鈴。都内で扱われるも全く売れなかったベルを「音がきれいだから風鈴にしては」と売場の声をもとに風鈴にしたところ、これが大ヒットになった。

その後同じ店から食器の要望があり、適した金属を探す中で錫(すず)を見出す。

錫は金、銀に次ぐ高価な金属で、抗菌性に優れ、「錫の器にいれると雑味がとれ味がまろやかになる」と古くから茶器や酒器に用いられてきた。熱伝導率も高く、ビールや冷酒を美味しく味わうには最高に適している。ただ錫には柔らかいという特性があり、強度をもたせるために他の金属を加える加工が一般的だった。

誰もやったことのない、錫100%のものづくりに挑戦したい。しかしそれでは曲がってしまう。開発が難航するなか、付き合いのあったプロダクトデザイナーから「曲がる金属なら曲げてしまえば」というアドバイスを受ける。この声をうけてつくられた、曲がるカゴをはじめとする錫100%の製品がさらに爆発的に売れ、能作を大きく成長させていく。

「人との出会いに恵まれているんだと思います。ヒントをいただいて、それをしっかりと選択していく。今の代表には人を惹き付ける力と決断力がありますね。聴く姿勢を凄く大事にしています。常にアンテナを張って仕事を楽しんで、ワクワクしていないと良い情報は入ってこない。苦しんでやるなってよく言われます」

能作家の長女に生まれた千春さんは父である克治社長が仕事に打ち込む姿に憧れて、ずっと“キャリアウーマン”になりかったという。小さい頃から家業を継ぐ意志はあったのだろうか。

「ぜっっったいに継ぎたくないと思ってました。正直、代表が母子連れに言われたことと同じイメージがずっとあった。わたしは工場で遊ぶ子どもだったんですけど、鋳物ってきつい、汚い場所でやるものっていう意識があったんですよね」

後を継げ、地元に残れと言われたことはなく、大学から神戸に出て、そのまま神戸で華やかなアパレル雑誌の編集職に就いた。仕事は楽しく人間関係も順風満帆。ただ充実した生活を送る一方で、媒体の先にいる人の顔がみえない歯痒さも感じていた。

そんなとき憧れだった上司が、能作の錫製品を会社に持ってくる。誰も千春さんが能作家の娘だとは知らずに、セレクトショップで買ったという花型のトレイを話題にしていた。

「うちの会社すごいなと。あの汚いと思ってた場所でつくられたものが神戸まで届いてきてる。そのとき“ものづくりがしたい”と単純に思いました。そうして能作の工場を訪ねてみると、若い人が増えていて、キラキラしてて楽しそうだったんです。わたし何を思って神戸に来たんだろう。逆にわたしに何ができるんだろうって思いましたね」

千春さんが高岡へ戻って来たのは9年前。ちょうど会社が大きく成長し始めた時期で、とにかく受注に対して発送が追いつかない中、社内の体制を整えていった。がむしゃらに働いて、たとえ夜通し仕事をしても、楽しくて仕方がなかったという。

入社した年に始めての直営店がオープンし、当時20数名だった従業員は今では150人を超え、売上も約10倍になった。

以前は社長の一声で決まっていた商品企画は千春さんも参加するチームを組み、売場の声を反映させながら進めている。インテリアや医療器具など今展開している分野以外にも、金属がフィットして人生の価値になる場面はないか、常に探している。

「400年の高岡銅器の伝統、102年の能作の歴史、そういう幹があるから枝葉がついて、実がなっていく。新しいことをやるとそれを一瞬忘れそうになるんですけど、幹があるからこそ、今色々なことができているんですよね。そのことを大事にしたい。あらためて言葉にしたうちのモットーは“チャレンジ精神を持って伝統に轍(わだち)をつけよう”。だから前に、前に、進んでいかないと」

千春さんが能作に入社してからの9年間には自身の結婚と出産もあり、一時期ではあっても子育てのために一線から退くことには大変な葛藤があった。

今でも子育てとの両立は大変ではあるけれど、視野が広がったことは、何より産業観光を広く知ってもらうための考え方に強く影響しているという。

ただ鋳物の勉強をするのでは響かない、子どもやその親世代に興味を持ってもらうため、紙芝居や電車ごっこで鋳物について知る手の込んだ見学プランを実施したり、まったく鋳物と関係ないものとのコラボレートや、音楽、食べ物と関連させたイベント、マルシェなども積極的に開催したり。子どもから影響を受けることが、豊かな場づくりに繫がっている。

頻繁に届く子どもたちの手紙からは、子どもたちにとって職人が憧れの職業になっていることがわかる。さらに最近は“職人になりたい”だけではなく、“工場を案内してくれたおねえさんになりたい”、という言葉も書かれるようになってきた。

実際に能作には、小学校の授業で見学に来て以来職人になることを夢にして、それを叶えた職人がいる。去年入社した社員達も、実はみんな小さい頃に工場見学に来ていたことを入社後に知った。

知らない職業に就きたいと思うことはできない。育ちの中で何らかの形で触れていることが、時間のなかで醸されて実を結ぶことを、千春さんは身をもって知っている。

「効率が悪いこと、そこだけ見たら儲けのないことはもちろんあります。でも今やっていることは本当に無駄じゃない。10年先が楽しみです」

文章:籔谷智恵

INFORMATION

株式会社 能作

住所:高岡市オフィスパーク8-1
電話:0766-63-0001(見学・体験等問合せ)
営業時間:10時~18時
休業日:年末年始(工場見学は日曜・祝祭日休業。土曜は月により変更あり。)
web:www.nousaku.co.jp
※見学・体験は要予約

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